「ルビコンを渡る」という有名な言葉がありますね。これは、大きな意思決定をすることを、ローマのカエサルがルビコン川を渡ってローマを目指した意思決定に例えたものです。日本語なら、清水の舞台から飛び降りた・・・・・ってことになるのでしょう。
さて、こんな例えに使われるぐらいだから、どんなに大きい川なのかと思いきや、ルビコン川は幅数mの小川なのです。小川を飛び越えたぐらいで、大した意思決定ではなさそうですが、なぜ、比喩に使われるのでしょう。
当時、ルビコンは、ローマと属州との軍事境界線でした。執政官になって改革をはじめたカエサルは、守旧派の危機感からガリアに左遷されます。そのとき書いた現場での日記が有名なガリア戦記です。ガリアとは、いまのフランス、ベルギー、スペイン北部、ドイツ西部をあわせた地域。まさに西ヨーロッパの2000年前のロマンが感じ取れる名作品です。
さて、左遷されたカエサルは、元老院の思惑とは逆に卓越したリーダシップと戦略で次々とガリアを平定します。ローマでの人気も高まる一方です。カエサルの赴任期間が終わったとき、その勢いでローマに凱旋されれば、いよいよ元老院の解体の危機だと考えた元老院は難癖をつけて、「元老院最終勧告」を出して、カエサルに武装解除を命じたのです。命令にそむけば、カエサルは反乱軍とみなされて、ポンペイウスのローマ正規軍と戦うことになります。ルビコンはその境界線だったわけですね。
カエサルのとる道は2つあります。
(1) ルビコンを武装してわたり、ローマを敵にまわす。
(2) 武装解除して、殺されるかローマを捨てて属州に生きる。
究極の選択ですね。だからこそ、大きな意思決定の例えとなるわけです。
結局カエサルは、ルビコンを渡ります。そのとき、
「行けばこの世の地獄、行かねばわが身の破滅・・・・犀は投げられた」
と言ったのが、有名なシーンですね。改革派で、原理原則を貫くカエサルは、元老院最終勧告の非合理性に納得がいかなかったし、元老院もカエサルが従うとは読んでいなかった雰囲気もあります。命令は、カエサルが(1)を選択し、ポンペイウスがカエサルをたたく根拠つくるための罠だったとも考えられるのですが。
さて、敢えて原理原則を貫き、ローマの未来のためにルビコンを渡るカエサルが、部下に向かって先程の台詞に続き、
「私のために、戦え・・・・!!!」
と叫ぶのが面白いところ。一見めちゃくちゃなこの呼びかけに、兵たちは歓喜をあげてついていきます。論理的なようで感情的。感情的なようで原理原則は貫く。カエサルならではの魅力というところでしょう。結局、敵は逃亡してしまい、カエサルは余裕でローマに戻る。そして、粛々と改革を進め帝国の基礎を作ります。最後は、時代を読めない守旧派に暗殺されてしまいますが、甥のオクタビアヌスが意思を次ぎ、ローマは帝政へ。そして、5賢帝、パクスロマーナの最盛期を迎えます。
世界史の教科書には、カエサルの鋭い戦略とグランドデザインが、ローマ帝国を築いたとだけシンプルに解説してありますが、その出発点がルビコンだったわけです。その重要な戦いに部下が部下が付いていった理由が、論理や私的利害ではないのが興味深いところ。ガリア平定の過程で、傭兵や属州の捕虜も含め、敵の文化を認め、敵をも許し味方とし、真のローマ人たるために何をすべきかと考え続けるカエサルの姿勢そのものが、兵たちを魅了したのでしょう。だからこそ、既得権のためにカエサルを排除する元老院の理不尽さに対して、カエサルとともに戦ったわけですね。カエサルと一緒に戦うことが誇りであり、楽しかったのはないでしょうか。
今日本には、戦争はありません。また、だれか一人が全てのリーダシップをとれるほど単純な世の中でもありません。それに、自分の仕事とローマ帝国構築の壮大なロマンとはとても比べられません。しかし、同じ目標を持った人達が、何かを成し遂げようとするとき、
この人と働きたい・・・・この仲間とやると楽しい・・・・、この人を育てたい・・・・、
そんな単純な気持ちが大切であること。それがなくては、戦略も、戦術も、目標も、目的も持ち得ない。それが真実だと思うのです。
北岡豪史@オレンジの街角

<参考>
今回のエピソードは、私の大好きな、ローマ人の物語(15巻を15年かけてかいた塩野七生の本。現在14巻。文庫本だと3倍の量だが持ちやすくて安い)にの、4、5巻(文庫本では、8巻から13巻)のユリウス・カエサル(ルビコン以前、以後)に出ています。