2006/12/23

中小企業診断士研修を改革する

実は、私は中小企業診断士。学校が理系なのに、コンサルティングというビジネスの世界に入ったので、体系的にビジネスを学ぼうというわけで、26才の時に会社行きながら取得した。

中小企業へのコンサルティングではないが、長い間、ビジネスコンサルティングに携わってきて、この資格の勉強で得た知識は、ビジネスに非常にためになる。経営学、経済学、IT、簿記、財務など、深くはないが、体系的で包括的だ。いわゆるビジネス知識のインデックスのようなもので、コースの内容はMBAのと大して変わらない。

ところが、資格を取得した後の、中小企業庁や中小企業診断協会の運営がよくない。毎年資格維持のために、無意味な研修が義務づけられているのだ。

今日はその理論研修の日。しかたないので毎年受講するも、

・ 情報が古い
・ 内容がつまらない
・ 狭い部屋で環境が最悪
・ テストもチェックもないので誰も聞いていない

という状況。今目の前で「私は携帯の音楽ダウンロードをしたことも無い・・はは」って言ってる講師が、携帯を活用したビジネスモデルを説明している。内容は5年前情報って感じ。

資格を取得したあと、その能力の質をどうやって維持するかは、学校教師や医師など、あらゆる資格の大きなテーマ。だから、中小企業診断士の理論研修って発想は悪くないと思う。でもこの研修の現実は、世の中の更新研修では最低の部類にはいると思う。まるで、お役所の集金活動のようだ。

中小企業診断士という名の通り、この資格は中小企業庁の政策実行をサポートする診断士育成が発端である。しかし、旧態依然とした中小企業を、とにかく支援して生き残らせるより、業態変換、創業支援、ネットワーク構築などによって、中小企業を、日本経済再生の担い手として活用することの方が重要なテーマとなりつつある。それに伴って、中小企業政策も、中小企業診断士に求められる役割も変わりつつある。そんなときに、今のままの研修(だけではないが)、は改革されるべきである。

そこで提言!

・集金のための研修はやめ。会費をとって中小企業診断士の価値向上の活動に役立てる。
 (ネットを利用した、ビジネスマッチング、ナレッジDB、バーチャルネットワークインフラ構築など)

・中小企業診断士の名前を、企業診断士(公認ビジネスコンサルタント)などに変更(もちろんもっといい名前があれば・・それにする)し、政策提言の官僚型指導コンサルタントから、企業とともに考え、実践するコンサルタントにブランド変更する。

さらに、新企業診断士ブランドに実態をもたせて、資格の質を維持するために・・・

・ 最新政策(税制・補助金改正の最新知識)はもちろん、方法論、最新分析手法などをWeb形式のeラーニングを使って、リアルタイムに教育する。

・ 資格維持は研修でなく、何度も受講できるオンラインのテストにする。

・ 税理士試験などと取得科目の相互変換を行い、複数資格取得を推奨する。

研修後のアンケートに何年も書き続けているし、会合にいくと、似たような意見はいつも活発に論議されるのに、数年間、何の反応もないのは。ベンチャーや中小企業の活力こそが日本の未来を支えるはず。中小企業診断士はそれをリードするのが使命だと思う。

北岡豪史@オレンジの街角(www.kitaoka.biz)
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2006/12/11

恐怖の飛行機・・・・・その2

くだらないシリーズもの第2弾、まずは過去の投稿をどうぞ!

オレンジの街角: 恐怖の飛行機・・・・・その1

海外でのプロジェクトのとき、大阪に2年間生活していたとき、海外赴任のとき、いやおうにも飛行機に乗せられ、私は何度も恐怖を味わいました。(というか、飛行機が怖くない人にとっては何でもないことだろうけど)最近は、沖縄での仕事の関係で飛行機に乗ることが多のですが、今日はその恐怖の飛行機第2弾。

欧州での国内線(というか日本の国内線も含めた近距離線)は、高度が低いことと、飛行機が小さいことで、よく揺れますね。

その日は、もっているコーヒーが天井まで届くぐらい揺れていました。

私の中では、結論は出ていて

「もう終わった・・・・・」

という感じ。こんなに飛行機にのっていれば、こういう日がいつかくるかと思いつづけ、やっぱり最後は遺書でも書くのかと思いながら、恐怖と揺れとでそれどころではなかったし、大学の航空宇宙工学で、公式を駆使しても、やっぱりこんな大きな金属の塊が空を飛ぶことが信じられなかったので、その直感を信じて、飛行機などに乗らなければよかった?などと後悔しながら、パニック思考は頭のなかをぐるぐる。

ところが・・・・・・・・です。

周りをみても、みんな平然として、本や新聞を読んでいる。CAも平然とにこにこしてる。パニックで体が崩壊しそうなのは、冷静にみて数人。他は、想定の範囲内という感じ。

グローバルの仕事で、数々の危機局面において、欧米人の冷静さというか、肝のすわりかたに、驚いた経験も数多くあったので、

「さすが、最後の瞬間も、欧米人は冷静そのものなんだ・・・・・」

とまず考える。いやしかし、

「ゆれそのもののスケールが、日本とは違うのでは? こんなのは、ヨーロッパでは普通なんだ」

と別の正当化をして、冷静さを取り戻す努力。

結局、30分ぐらいゆれはやまず、かといって、パニックを表現することもできず、ぎりぎりの状態ながら、何とか飛行機は着陸したのです。

すると・・・・・・・

「やったー! ブラボー! ありがとう!」

機内は拍手喝采。CAも半分涙目ではないか?
言ってくれ。怖かったのなら、もっと早く。

私の結論

「いろいろな国の文化によって、恐怖に遭遇したときの態度も違う。でも怖いものはやっぱり怖い」
「恐怖を共有できないと、もっと怖い」

この話は、まったく同じ体験を仲良しの先輩からも聞いたことがあります。欧州人は大人なのか?
コメント、フィードバック待ってます。

よく考えると、私の飛行機話は、数え切れないぐらいあります。全部さらすのも恥ずかしいので、ときおり公開しますね。飛行機が怖い人も、怖くない人も、お楽しみに。

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2006/11/23

Web2.0と騒ぐ人たち (その2)

Web2.0 って騒ぐ人が増えていますね。

Web2.0と騒ぐ人たち (その1)

今日はその第2弾です!前回の復習をすると・・・・

「Webにかかわる技術、ビジネスモデル、サービスなどが、質的にも量的にも、こここ数年(2003年、2004年以降という記事が多い)で劇的に変化したことを、ソフトウエアのバージョンアップの表現になぞらえて、Web2.0と呼ぶ」

しかし、ブームのときこそ冷静に?巷で言われている説明について、少し考えてみましょう。

(2)Web2.0は企業システムでこそ力を発揮する

近年、企業が利用するアプリケーションは、クライアントサーバー型から、Webブラウザだけあれば利用できるThin型のアプリケーションに移行しつつあります。企業システムにとって、Thin型のアプリケーションはさまざまなメリットがあります。

・多種多様のPCに必要なアプリケーションをインストールし管理していくことは手間がかかる。
・企業間取引では、複数の会社のアプリケーションを動作させるのに専用機が必要。
・バージョンアップのたびにソフトを更新し、各PCの環境の違いにも配慮しなければならない。

そのかわりに、デメリットとして

・利用するたびにブロードバンド回線が必要となる。
・ローカルのアプリケーションと比較すると操作性が悪い。
・セッションが切れると、入力をしなおす必要がある。

しかし、ブロードバンドがある程度浸透し、モバイル環境でも徐々に利用できるようになり、Web2.0技術によって、Web画面の操作性は格段によくなって、セッションの連続性も保たれるようになりました。更新ボタンを押さずに、エージェントがデータをチェックしてくれるし、企業システムの最大企業Oracleだって、あらゆる製品やミドルウエアをWeb2.0ベースに作っていくじゃないか!Web2.0で、Thin型企業アプリのデメリットが大幅に向上することが期待されているわけです。

しかし、

「だから、企業システムでこそ、Web2.0 なのだ・・・・・・・・・・・・・・」

といっているのを聞くとあきれます。Oracle に買収されたPeopleSoftが、ThinベースでERPを作ったのは、もう10年も前。SAPがそれを物まねしたのも数年後。Web2.0なんて言葉のないとっくの昔に、Thinベースのアプリケーションなんて当たり前に実現されていました。サイボーズだって、あんなに元気です。つまり、技術進展にもとづいて、企業システムが発展していいくのは、当たり前のことであり、Web2.0の論議とはまったく無関係のことなのです。

企業システムは、使う人が限定された(例え世界一の大企業であっても)相手の見えるシステムです。メインフレームの時代であろうと、クライアントサーバーの時代であろうと、そしてWeb2.0ベースの技術であろうと、だれが、なんのために、どの程度使うかは、(ナレッジマネジメント等コラボレーション型のものは一部あるにせよ)ほぼ想定の範囲内。使う人がいるから、企業システムを用意するのですから、当然ですね。

これは、ロングテールが勝手コラボレーションして生み出す想定外の付加価値とは異なるものです。Web2.0は、不特定多数のメンバーに対して、標準的、革新的、汎用的、ローコストの、技術、ツール、プラットフォーム、情報、ビジネスモデルなどインターネットを通じて機会均等に提供され、想定外の価値が生み出される可能性があるからこそ、注目されているのであり、操作性向上や、デメリットの解消など一部の現象を捉えて、企業システムでのWeb2.0をうたうのはナンセンスです。

ただし、インターネットの進展は、個人を浮かび上がらせます。それはコンシューマという意味での個人だけではなく、大企業に対抗する、ネットワーク型の小企業、個人企業も意味します。そういう環境における、個人間のビジネスコラボレーションシステムを、企業システム2.0(Web2.0における企業システム)と呼ぶなら、今日の反論は意味がなくなるのかも知れません。

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2006/11/13

さらばマイクロソフト

ご無沙汰してます。海外出張と仕事のどたばたで2週間ぶりの登場です。

googleが、google docs&spreadsheets をついに出しました。これは簡単にいうと、Webブラウザさえあれば無料で利用できる、ワープロと表計算ソフトです。マイクロソフトでいえば、Word & Excel。つまり、もう高いライセンスを払ってWord やExcel を買う必要はないのです。googleは、2006年3月にをwritely を買収し、過去数ヶ月spreadsheetをbeta版で提供してきたので、こうなるのは時間の問題だったわけですが、実際使ってみるとすごい。Webベースでここまでできるとは・・・・という感じですね。

まずはgoogle docs&spreadsheets行ってみましょう。

gmail のアカウントがあれば、そのままログイン。なければ作成してログインしてください。使ってみると、無料ながら結構便利。とてもすごいことが起こっていることがわかります。しかしながら、google のコメントもまたおもしろくって、あくまで低機能のワープロと表計算なので、既存のソフトウエア商品とはすみわけできる・・・の意の発言で、MSに対する気遣いが感じられます。

この商品は、はたしてそのようななんちゃって商品なのでしょうか?
私はそうは思いません!

理由1
ほとんどの人は、Wordも、Excelも最低限の機能しか使っていない。したがって、機能があまりないことはユーザにとってあまりデメリットにならない。

理由2
いつ使うかどうかもわからないのに、数万円もはらうのはばからしい。プリインストールパソコンだって結構なソフト料金。無料はやっぱり魅力

理由3
数年前のようなフォーマット論議がない。マイクロソフトの独占が生み出した唯一の社会貢献は、ワープロと表計算のフォーマットをWord&Excelでデファクトスタンダード化したこと。google docs&spreadsheets は、WordもExcelの資産もほとんど利用可能。

理由4
google docs&spreadsheets はローカルPCからのアップロード、ローカルPCへのダウンロードだけではなく、googleが提供する無料仮想空間にデータを保存できる。したがって、ユーザはいろいろな接続環境から、ひとつのドキュメントを共有できる。それに、PCが壊れてデータがなくなる心配もない。

理由5
理由4に加えて、自分が指定した相手とは、ドキュメントを共有できる。共同作業、レビューなど、プライベート、仕事でのコラボレーションに大きく貢献する。

理由6
google docs&spreadsheetsを使うには、ある程度の高速インターネットが必要。しかし、インターネットはモバイルブロードバンドへ向かっているので、ユーザはどこでもこのアプリケーションを使えるようになる。

理由7
機能なんて、使う人が増えれば向上する。それも、必要なだけの快適さで。過剰機能を作りこみ、バージョンアップで金をむしりとる商売は崩壊する。

と、どこからみても、google が言っているような、謙虚な話ではなく、アプリケーションビジネスの革命的出来事になりうると思うのです。

マイクロソフトのとる道はいくつかありますね。

・Word&Excel のローカルの快適性を訴え、価格を大幅にさげる。
まあ、どこまでやるかですが、すでにOpenOffice(すでにある無料のMS Officd 互換ソフト:インストールすれば、Word / Excel / PowerPoint などが、完全に無料にで利用できます。便利ですよ)があるので、その効果もどの程度でしょうか?

MS Office完全互換のオープンソースHPへ行く

・google とおなじアプリを無償で、提供。
その名も、Word&Excel thin (勝手に名づけました)。これも、自分たちのビジネスとカニバライゼーションするアプリに、どれだけ命をかけられるかが疑問なのと、googlのおもしろ企画を生み出すのに適したプロジェクトベース型組織に、"Theいすたぶりっしゅめんと"のマイクロソフトのが対抗できるのか疑問です。

かつて、IBMが80年代後半から90年代初頭にかけて、マイクロソフトなどの台頭とダウンサイジングで、PC市場で壊滅的な打撃をこうむったのと似てますね。まあ、ビルゲイツの引退したこの先も見ものですが、マイクロソフトの終焉を象徴しているようでもあります。

google へのリクエストもありますね。
 ・PowerPoint(viewerだけ?)も出してください。これで、ビジネスマンはたいていのことができます。
 ・もうすこし、日本語化にも気をつかってください。
 ・すでにブランドを持ってたYouTube買収なんて、普通の企業っぽいことあまりやらないでください。
 ・あの程度のこと、googleなら、簡単にできる!というのが、これまでのgoogleだったのでは?

とにかく、gmailのアカウントとって、http://docs.google.com/ 行きましょう。
そして一言、「さらばマイクロソフト」と。


北岡豪史@オレンジの街角(www.kitaoka.biz)

2006/10/25

これは京都じゃない


美しい景観ですね。機会があって、アメリカ人の大金持ちが作った、アメリカのプライベート日本庭園を訪れました。一般に公開しているわけでもなく、オーナーが時々そこに泊まるとのこと。広大な敷地に、池、滝、茶室、ゲストルームもいくつもあって、まるで古の京都をそのままもってきたよう。それもそのはず、数百億と10年の歳月をかけて、日本から宮大工まで呼んで作った本物だそうです。桂離宮をそっくりそのまま再現したものまでありました。Made in 京都にこだわり、京都でまず作り、それを分解してアメリカに運び、再度組み立てたとか・・・でも、関心はしたものの感動はまったくなし。お金持ちのすることはわからんというのが正直な気持ち。違和感と失笑だけが残った訪問でした。

歴史とか伝統というのは、その国で生まれ、時間ををへて咀嚼され、言葉にはできなくとも人々の共通の意識のなかに根付いたものです。特に伝統的な暮らしをしていない私でさえ、いい器でお茶をのむと気持ちがほっとしたり、お茶碗によってごはんがおいしく感じたり、お刺身を食べる時しょうゆのための小皿を使ったりします。紅葉に四季を感じもみじ狩りに行きたくなるし、たたみに寝そべれば柱の木の香りに気持ちが和らぎます。

京都や奈良の1000年を経た風景は、日本人の普段の生活には現実的ではないけど、そこに、日本人としての原点を感じるからこそ、あんなにも人を魅了するのでしょう。普段はあまり意識しませんが、伝統や文化の原点をもっていることは、とても幸せなことです。たとえ、捨てるほどお金があったとしても、山奥にプライベート京都を作る必要なんてない。いつも心に、日本的、京都的なものがあるからです。

影響力のあるお金持ちのアメリカ人が、京都に魅せられたのはうれしいことですが、たとえ形だけ真似してもそれは模型。京都にはなりません。もっと別の形でお金を使って、日本の文化やよさを世界に伝えてほしいものです。

以前、フランスのお城で国際会議をやったとき(ヨーロッパの人はよくそうします)アメリカ人が何度も古城をうらやましがっていたのを思い出します。相対的に歴史が浅く、多民族国家ゆえに文化が多様なアメリカ人がお金で買えない京都、伝統、歴史、文化。我々はもっとそれを意識して、大切にすべきと思います。

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2006/10/18

アメリカンジョーク恐るべし

今日はアメリカンジョークのお話。

NHKのTVで留学という番組を結構前から見ています。コロンビア大学の初級英語教育の講座の公開番組なので、英語教育番組というよりは、インターネット授業ライブという感覚でしょうか。毎回、アメリカの文化をテーマにしながら、英語の表現をブラッシュアップしていくのですが、昔から留学にあこがれてて、実現できなかった私には、海外の授業の雰囲気が感じられてとても興味深い番組です。放送時間に家にはいないので、HDレコーダーで録画して、暇なとき楽しんでます。

さて、過去の放送を見てたら「アメリカンジョーク」というのがありました。そうです、あのパーティ
ジョークというか、雑誌の片隅にふと書いてあるやつ。たぶん、ほとんどの日本人にとっては、何が面白いかよくわからないもの。それがテーマ。

内容を要約すると、

「アメリカンジョークには、いくつかの標準があり、それに従わなければならない・・・・」

例えば、「Knock Knock Joke」これは、ドア越しにノックする人(訪問者)と、ノックされる人と(その家の主)のやりとりを以下のようなフォーマットであつかうものです。

Knock, knock
Who's there? (相手の名前を尋ねる)
xxxxxx (first name を答える)
xxxxxx who?(family name を尋ねる)
名前にかけた駄洒落でおち・・・

例:

Knock Knock
Who's there?
Lettuce (野菜のレタス)
Lettuce who? (レタスが名前なら、苗字は?の意)
Let us come in.( Let us (レッタスの発音)で、lettuce とかけてる)

うーん、なるほど。まあこれをみて、笑いも標準化するところあたり、さすがアメリカ人ですね。他にもいくつか標準があり、それに従うと、アメリカの文化を理解し、英語表現が豊かになる・・・・・とのことです。

どこ国にも、笑いのフォーマットは存在しますが、日本とアメリカを比べると、アメリカンジョークの制約の方が圧倒的に強い。このことは、笑いにかぎらず、いろんな分野でみられます。

例えば、トヨタのかんばん方式は、現場が自発的に考え、創意工夫をして、需要に基づいた最適な生産をする方式ですが、アメリカ人は、それをサプライチェーンマネジメントとか、リーン生産方式として標準化し、システム化します。アメリカでは、水道の蛇口の大きさは200年前に標準化されてるそうですが(本当かな)、日本の蛇口はいまだに多種多様。東急ハンズが儲かるわけです。仕事は、いまだに上司の背中をみて・・・・という日本人も多いけど、アメリカではすぐ方法論とジョブディスクリプション。「お客様は神様です!」なんて、昔から三波春夫も言ってるのに、今更ながらCRM(カスタマーリレーションシップマネジメント)とかレスポンス経営(顧客の要求にすばやく応える)の重要性が説かれている。

これはある意味、アメリカのいいところでもあり、かわいそうなところでもあります。多民族国家で、宗教、人種、歴史感、国家感が、日本に比べると多種多様であり、わかっていることもドキュメントして方法論化し、声に出して主張しないと、コミュニケーションがとれません。バックグラウンドが違うので、規格外の笑いは、タブーに触れるリスクがあるわけです。

でもおもしろくないなぁ。グローバライゼーションの進展の中、政治、金融、IT・・・と次から次へと標準化が取り入れられるけど、ほとんどが、アメリカンスタンダード。標準化が得意なのはわかるけど、力でねじ伏せれば、反発がでるのは、イラクを見ればわかります。

では、日本人として何をしたらいいのか?

・ 標準化のいいところはどんどん取り入れればいい。
・ やみくもに反発しててもはじまらない。
・ だからといって、日本人のよさを捨ててはいけない。
・ まじめさ、責任感、チームワーク、阿吽の呼吸はむしろ生かすべき。
・ そういう日本人の考えを言葉にして世界に向けて発信する。

玉虫色だけどこれしかないのかと思う。ロングテールの時代には、このことが、政治家や大企業の経営者ではなく、個人の役割になってきます。ひとりひとりが、友人を通じ、仕事を通じ、ブログを通じて、日本人の考えを、草の根で発信することがとても大切だと思います。

アメリカンジョーク恐るべし。でも、アメリカ人にしてみれば、笑いさえも標準化せざるを得ない事情があるからやっているだけのこと。コンプレックスをもつ必要なんてありません。いいところは取り入れながら、日本の強みは何かを考えていきたい。標準化されていなくたって、笑えるよろこび。そこに日本の生きるヒントがあると思います。

最後に、欧州赴任時の同時通訳の友人Mさん(最近完全帰国)がすすめてくれた、日本的精神の可能性。赴任時やグローバルプロジェクトで悩んできたことに、解決のヒントを与えてくれました。

<参考>日本的精神の可能性

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2006/10/12

とにかく、はじめよう

知人のサイトで、「明日やろうは、ばかやろう!」というコメントをみて、その本質をついたセンスに、思わず笑ってしまいました。でもこれってやっぱり真実の気がします。

何かを始めるとき、2つのスタイルがありますね。

(1)まずはじめて、状況に応じて考える
(2)万全の準備をして、慎重に検討をかさねて、はじめる。

どちらがいいか悪いかは別として、経験的に(1)の方が得られる結果がよくなるのではないかと思うのです。

例1

システムコンサルティングの仕事をしていて、お客様のシステムをいつ稼動開始するのかは、重要な決定事項です。契約履行をするためのコミットメントですからね。例えば、約束している納期が、3ヶ月後に迫っているのに、約束したシステムの100%を稼動させるのが無理になったとします(理由はいろいろですが)このとき、

(1)のパターン
  まず、50%でも稼動して、徐々に100%にしていく。

(2)のパターン
  100%なるまで、稼動開始日を遅らせる。

私のつたない経験で2つのパターンを比べると、当初稼動開始日から1年たったとき、システムの出来、ユーザの満足度、予定した効果の具現化、どれをとっても(1)の場合のほうが結果が明らかにいいのです。

例2

宇宙技術の結晶として、月面着陸を目指したある国で・・・・・

 (1)のパターン
  冷戦化のアメリカ。ソ連への対抗意識、軍事技術向上、国威発揚のため、ケネディがとにかく月へ行くと宣言する。(アポロ計画)

 (2)のパターン
  日本。現状の技術と、予算規模なら、まずは実験が無難。次に無人飛行。安定化を得て、有人飛行にチャレンジとのロードマップを出す。

結果として、(1)のアメリカはは、月へ行ったけど、(2)の日本は、アポロ計画から30年たっても、有人飛行すらままならない。約束は必ず実行する(予算はオーバーしないように守る)ことは重要ですが、そのために目標をさげては、本末転倒な気がしませんか。

もっとも、システムの話だって、遅れる事情は様々だ!とか、アポロだって、その時代の雰囲気に支えられたからこそで、日本とは事情は違う!など反論はあるでしょうが、あくまでも原則論の話なので、そこは、あまり突っ込まないでくださいね。

そんなわけで、例を挙げればきりがないのですが、人間というのは、先延ばしするとどこまでもずるずる行ってしまう。一方、やると決めるとそれなりに力と英知が結集されていって何とかしてしまう。そんな不思議な力があるような気がします。

人それぞれやりたい事はたくさんあります。やらなければいけない事もたくさんあります。でも、人生は短い、光陰矢のごとし。Time flies です。みなさんのライフスタイルに、まず初めて、そして走りながら考えるアプローチを、ちょっとだけ取り入れてみてはいかがでしょうか。

ただし、やみくもに手を出して途中でやめては意味がありません。けじめがつくまで継続する勇気は必要です。また、やろうとする事ことが思いつきではなく、自分の夢、原理原則、世の中のため、大切な約束など、命をかけて取り組む価値があるかどうかは、ちゃんと見極めなけばなりません。

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2006/09/29

Web2.0と騒ぐ人たち (その1)

Web2.0 って騒ぐ人たちが増えていますね。流行にのろうというのは別に悪いことではありません。ただ、時代の変化を自分の言葉ではなく、知ったかぶりしてしゃべっているのを聞くと一言言いたくなります。景気動向の流れにのって無難な発言だけを繰り返す、御用達エコノミストへの反感のようなもの・・・と似ているかも知れません。

Web2.0とは、厳密に定義された言葉ではありません。検索すればいろいろな説明が出てきますが、最大公約数化すると、(ウィキペディアのWeb2.0の説明を見る

「Webにかかわる技術、ビジネスモデル、サービスなどが、質的にも量的にも、こここ数年(2003年、2004年以降という記事が多い)で劇的に変化したことを、ソフトウエアのバージョンアップの表現になぞらえて、Web2.0と呼ぶ」

となります。

過去のHPを閲覧するためだけのWebは、古いWeb、つまりWeb1.0とか、Web1.5だというわけですね。時代を変える波が来る雰囲気を、このようなわかりやすい言葉で表現することは、大変すばらしいことです。何万回の説明より、「Web2.0」というキーワードの方が簡単ですからね。

しかし、ブームのときこそ冷静に?巷で言われている説明について、少し考えてみましょう。

(1)Web2.0でWebはコンテンツ発信のインフラになる!

「Web1.0は単なる蓄積情報の発信ツールだったものが、Web 2.0では、Webが一種のインフラというかプラットフォームになる。その上で情報や機能が、さまざまに絡み合い、加工され、新しい価値を生み出す。」

これは、間違ってはいないのですが、講演などでいろいろな状況で説明をきくと、本質を取り違えている説明が多く、この人はインターネットのことをまったく知らないのでは?と思うことがよくあります。近年のXMLの進展、RSS、ATOMの標準化、Ajaxの台頭、双方向メッセージプロトコルの整備等は、確かにコンテンツの絡み合いを加速したことは事実です。しかし、これは、インターネット(Web)が当初から発想した本質であって、Web2.0で始まったことではありません。

インターネットの初期、情報をいかに整理するかという論議のなかで、FTPで一箇所に集めるべきだとか、インデックスを登録すべきだとか、コピーを置くようにするだとか、いろいろなアイデアが出増した。最終的には「どうせ情報はネットワークにあるのだから、お互い、利用する情報を参照するのがいいのではないか?」こうして始まったのが、Webおよびリンクによって情報を参照するという考え方です。

Googleの情報を整理する技術や試みは、様々なビジネスモデルを生み出し注目されていますが、これもページのリンク情報をもとに、情報の重要性を判別することから生まれいます。つまり、Googleの種はインターネットの根本原理に関係するものでWeb2.0には関係ありません。すごいのはそれを見つけて、実践したGoogleの行動力です。

こうした本質を理解しないで、なんでもかんでもWeb2.0でビジネス大成功!というのは大きな間違いです。ドット.com ブーム、ERPブーム、e-businessブーム思い出して見ましょう。Web2.0上という言葉はいずれ消えても、そのプラットフォームで何を実現するのか?ということが、企業や個人にますます問われてゆく時代だと思います。

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2006/09/16

恐怖の飛行機・・・・・その1

昨日、飛行機が怖いかって話で盛り上がったのと、別件でゆれた飛行機の話を聞いての思い出。

飛行機は子供の頃から大好きでした。小さいころは、飛行場につれられていって見学したし、大学に行くときは航空宇宙工学も迷ったぐらい。今でも名残で、世界中の商用機は見ればたいていわかります。

でも乗るのは実は苦手、というか怖いのです。何が怖いかって言われても怖いのだから仕方がない。100回乗っても、200回乗っても変わらない。外資系の会社にいたので、海外出張や赴任も日常茶飯事。年に5回も10回も海外に行かされたら、さすがに怖いとも言ってられず、今は、慣れたというか、気持ちを封印したというか、何とかやってます。

ある日の会話、飛行機が怖いという私に、

友人「飛行機が落ちる確率って、交通事故よりずっと低いんだよ」
私「・・・・」

そんな理屈を言われても、車の運転ならば自分がスピードを出さずに安全運転をすれば、事故率は下げられます。でも飛行機は、すべてを人に預けねばならず、いったん事故が起きたら全滅っていう感じが違う・・・。

そこで私が質問

私「もし、運賃が3倍の特別席があって、飛行機が落ちそうでもうだめだという瞬間に、いすのボタンを押すと、パラシュートがパット開いて、その人だけは助かる席を売り出したら、絶対買うよ!」
友人「そんなばかな・・SF漫画じゃあるまいし。いらないよ俺は、はははは」

だいたい、飛行機怖いっていう会話はこんもんです。怖くない人に、怖い気持ちはなかなか伝わらないものです。
ところが、この話をして数週間後に友人から電話。

友人「あの話のあと、福岡に出張したんだよ、そしたら、かつてないぐらい飛行機が揺れてサー」
私「・・・・」
友人「もう落ちるかと思ったよ。その極限状態のなかで、この前の話を無意識に思い出してさ」
私「それで???」
友人「俺は、いすのボタンを何度も押しちゃったよ、馬鹿にしてごめんな!」

というわけで、ちょっとだけ気持ちの共有ができました。

私の結論

「恐怖とは、怖い状態を想像できる、感性である。怖くない人は鈍いのさ。」

って、自己を正当化してみました。

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2006/09/09

楽しいラウンド

ゴルフが大好き。ラウンドは楽しい。長い間(といってもブランク挟んで4年だけど)いろいろなパターンのラウンドがある。

(1)前半も、後半も、絶好調、そのときの実力以上がでる。
(2)前半絶好調だが、後半くずれて、終わってみると実力通りか、それ以下。
(3)前半絶不調だが、がまんして、耐えていると、後半盛り返して、実力通りか、それ以上。
(4)前半絶不調で、あきらめて、さらに悪くなり、どん底。終わってみると、最悪の結果。
(5)ずっとおしなべてそこそこ。まずまず。実力通りか、若干下。

さてさて・・・どのパターンがいいのか、悪いのか、好きか、嫌いか?
私の場合・・・・
(1)は、好きだけど、運任せ。まあ、そんな時もあるさ・・・で、意外とうれしくない。
(2)は、最悪。実力を過信して、謙虚さがない。
(3)は、実はものすごく達成感があり、練習の成果がでた気がする。
(4)は、あとで自己嫌悪。
(5)は、それなりの達成感。(3)ほどじゃないけど、(1)よりうれしい。

とこんな感じである。人それぞれ、正確も、タイプも違うけど、これって、人生や仕事の局面と似てるって思いませんか?

今日は、サンデーズの仲間とラウンド。1番でOB、2番から4番までダブルボギー。苦しかったけど、最後は、47、42=89。大金ゴルフクラブではベストスコア。(3)のパターンで、なぜかとても気分がいい夜なのです。

北岡豪史@オレンジの街角(www.kitaoka.biz)
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2006/09/03

bloggerの衝撃

ホームページを新しく作り変えました。一昔前は、ホームページで個人がいろいろな情報を発信するためには、手間をかけるか、企業なみにお金をかけるか、どちらしかなかったけど。趣味ならともかく、普通の人には現実的ではありません。

でも今は、ブログが簡単に無料で利用可能。

とはいいつつ、livedoor、goo、yahoo、楽天どれも、日本のサイトが無料提供しているブログは、そのサイトの色が強くて、いかにも無料で人に借りてやってますよ?といったブランディングがされてしまうんですね。これでは個人は面白くないし、ブログで発信してる意味もありません。

セキュリティ、フィッシング、正しい情報とはなにか、など、インターネットが乗り越える問題はたくさんあるけど、私は、発信者の誠意も、受信者の真実を見分ける英知も、信じています。少なくとも現時点で、「知の民主主義」を実現するには、これしかないのです。

そういう意味で、Google は面白い。ロングテールから広告料をとることに徹底的にこだわりながら、利用者にブランドを押し付けない戦略は、今の時点ではユーザ側にたった最良のサービス。もちろん、Google に検索されないと存在しないことになる・・・もうけすぎだ・・・買収しすぎだ・・・と批判はあるけど、ユーザを無視すれば、Googleでさえ滅びるだけ。代替のサービスが出てくるので、乗り換えればいいのです。

今日は、このブログも利用している、bloggerのおすすめ。みなさんもぜひ使ってみてください。

まず

http://www.blogger.com

に行ってみてください。Googleアカウントで簡単にログインできます。
さて、bloggerにログインすると、説明にしたがって簡単に

http://xxxx.blogspot.com

のような自分のブログサイトを作ることができます。xxxxは好きな名前でOK。名前でも、場所でも、考えてみてください。このgoogleによって提供されている無料ブログプラットフォームbloggerには、以下の特徴があります。

・あくまで、powered by Googleであり、サイトの一部を借りている感じがない。
・ソースが提供されるので、自由度が高い。
・自分のサイトに転送しても使える。

一方で、
・日本ではまだ知名度がない。
・多少日本語化のバグがある。
・追加の機能には、htmlの知識がいる。
・そもそものページに誘導するのが大変。

などがあります。バグはいずれ直るでしょうし、機能も日々追加されているので、心配はいりません。今でも十分使えます。
あとは、いかに見てもらうか・・・・それが、オープンBlogの悩みではあります。

北岡豪史@オレンジの街角
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2006/08/27

最後は誰と働くか

仕事にもとめるものは、お金、やりがい、楽しさ、出世、自己実現と、個人によっていろいろありますね。でも、すべての出発点として、誰と働くかが一番大切だと思います。 この人と仕事して楽しい、この人を育てたい、このチームで目標を達成したい。そんな単純な気持ち。今までは、特に意識しなかったけど、最近は特にそう考えるようになりました。

「ルビコンを渡る」という有名な言葉がありますね。これは、大きな意思決定をすることを、ローマのカエサルがルビコン川を渡ってローマを目指した意思決定に例えたものです。日本語なら、清水の舞台から飛び降りた・・・・・ってことになるのでしょう。

さて、こんな例えに使われるぐらいだから、どんなに大きい川なのかと思いきや、ルビコン川は幅数mの小川なのです。小川を飛び越えたぐらいで、大した意思決定ではなさそうですが、なぜ、比喩に使われるのでしょう。

当時、ルビコンは、ローマと属州との軍事境界線でした。執政官になって改革をはじめたカエサルは、守旧派の危機感からガリアに左遷されます。そのとき書いた現場での日記が有名なガリア戦記です。ガリアとは、いまのフランス、ベルギー、スペイン北部、ドイツ西部をあわせた地域。まさに西ヨーロッパの2000年前のロマンが感じ取れる名作品です。

さて、左遷されたカエサルは、元老院の思惑とは逆に卓越したリーダシップと戦略で次々とガリアを平定します。ローマでの人気も高まる一方です。カエサルの赴任期間が終わったとき、その勢いでローマに凱旋されれば、いよいよ元老院の解体の危機だと考えた元老院は難癖をつけて、「元老院最終勧告」を出して、カエサルに武装解除を命じたのです。命令にそむけば、カエサルは反乱軍とみなされて、ポンペイウスのローマ正規軍と戦うことになります。ルビコンはその境界線だったわけですね。

カエサルのとる道は2つあります。

(1) ルビコンを武装してわたり、ローマを敵にまわす。
(2) 武装解除して、殺されるかローマを捨てて属州に生きる。

究極の選択ですね。だからこそ、大きな意思決定の例えとなるわけです。

結局カエサルは、ルビコンを渡ります。そのとき、

「行けばこの世の地獄、行かねばわが身の破滅・・・・犀は投げられた」

と言ったのが、有名なシーンですね。改革派で、原理原則を貫くカエサルは、元老院最終勧告の非合理性に納得がいかなかったし、元老院もカエサルが従うとは読んでいなかった雰囲気もあります。命令は、カエサルが(1)を選択し、ポンペイウスがカエサルをたたく根拠つくるための罠だったとも考えられるのですが。

さて、敢えて原理原則を貫き、ローマの未来のためにルビコンを渡るカエサルが、部下に向かって先程の台詞に続き、

「私のために、戦え・・・・!!!」

と叫ぶのが面白いところ。一見めちゃくちゃなこの呼びかけに、兵たちは歓喜をあげてついていきます。論理的なようで感情的。感情的なようで原理原則は貫く。カエサルならではの魅力というところでしょう。結局、敵は逃亡してしまい、カエサルは余裕でローマに戻る。そして、粛々と改革を進め帝国の基礎を作ります。最後は、時代を読めない守旧派に暗殺されてしまいますが、甥のオクタビアヌスが意思を次ぎ、ローマは帝政へ。そして、5賢帝、パクスロマーナの最盛期を迎えます。

世界史の教科書には、カエサルの鋭い戦略とグランドデザインが、ローマ帝国を築いたとだけシンプルに解説してありますが、その出発点がルビコンだったわけです。その重要な戦いに部下が部下が付いていった理由が、論理や私的利害ではないのが興味深いところ。ガリア平定の過程で、傭兵や属州の捕虜も含め、敵の文化を認め、敵をも許し味方とし、真のローマ人たるために何をすべきかと考え続けるカエサルの姿勢そのものが、兵たちを魅了したのでしょう。だからこそ、既得権のためにカエサルを排除する元老院の理不尽さに対して、カエサルとともに戦ったわけですね。カエサルと一緒に戦うことが誇りであり、楽しかったのはないでしょうか。

今日本には、戦争はありません。また、だれか一人が全てのリーダシップをとれるほど単純な世の中でもありません。それに、自分の仕事とローマ帝国構築の壮大なロマンとはとても比べられません。しかし、同じ目標を持った人達が、何かを成し遂げようとするとき、

この人と働きたい・・・・この仲間とやると楽しい・・・・、この人を育てたい・・・・、

そんな単純な気持ちが大切であること。それがなくては、戦略も、戦術も、目標も、目的も持ち得ない。それが真実だと思うのです。

北岡豪史@オレンジの街角

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<参考>

今回のエピソードは、私の大好きな、ローマ人の物語(15巻を15年かけてかいた塩野七生の本。現在14巻。文庫本だと3倍の量だが持ちやすくて安い)にの、4、5巻(文庫本では、8巻から13巻)のユリウス・カエサル(ルビコン以前、以後)に出ています。





2006/08/12

ベルギーのゴルフの思い出!

ベルギー(ブリュッセル)に赴任中、本当にたくさんゴルフをした。年間100ラウンド以上。ゴルフ好きなのはもちろんだけど、ほかにもいろいろな理由がある。

・ 会社と家が近くて、会社帰りに練習ができる。
・ 夏の日がとても長く、平日の夕方ハーフ回れたりする。一人でもまわれる。
・ 練習場に行く習慣があまりなく、とにかく安くラウンドできる。
・ 会費制の会員権があり(年間約15万)一年間ラウンドし放題。
・ 手引きカートで、スループレイ。土曜の半日使えば、ラウンド完了。

というわけで、毎週のゴルフが、特に工夫もすることなく習慣になった。

http://www.golfinfo.be/content/Club.cfm?ClubID=87&language=en

がホームコース。"golf club de LOUVAIN-LA-NEUVE"ブリュッセルの日本人の間では、通称ルーバンと呼ばれていた。フラットで、距離が長く、特別おもしろいコースではないけど、初めてホームコースを持った喜びはひとしお。プレーを積み重ねるうちに、今までのゴルフとは違う、いろいろな体験をした。

・ とにかくボールマークやディボットを直したくなる。やっぱり自分の庭。
・ どこにどんなハザードがあるか知っていてコースマネジメントを徹底。
・ 回り放題なので、ターゲットをわざとはずしたりマッチプレーなど、いろいろ可能。
・ ショートゲームがうまくなる。
・ 手引きカートで、その場でクラブ選択を迷うのがとても面白い。

こんな感じ。要するに、ちゃんとした、健全スポーツとして成り立っているのである。ルーバンには、日本人もたくさん所属していて、通称「ベル芝」と呼ばれる、メーリングリストで、現地集合、現地解散の簡易ラウンドや、日本人会、居酒屋杯など、たくさんのコンペも開かれていた。年齢や会社を超えたコミュニケーションの場である。また、一人でラウンドしてると、前後を一人でラウンドしてるベルギー人と組むことが何度もあった。ゴルフに国境はなく、クラブの話、距離の話、ぱっとの打ち方、コースの攻め方・・・つたない英語ながら、ゴルフ談義を楽しんだ。

そして帰国・・・・・

やっぱり、日本のゴルフは、ややよそ行き。バブルの頃ほどではないけど、プレーには、お金と時間がかかり、メンバーを集めてずっと前から予約するのも、結構大変な仕事。ベルギーのゴルフがそれがとても懐かしく思えて、何とか似たような状況を作れないかなぁ・・・・・って考えた末、家の近くの河川敷コースの会員になることにした。この話はまた後日。

北岡豪史@オレンジの街角
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